アマビエとアマヒコ

(5月18日)

 アマビエなる妖怪が日本全国で人気。人魚のような外観でくちばしがあるのが特徴で、江戸時代に肥後の国(熊本県)の海に出現、その姿を絵に描いて世に広めると疫病がやむという伝説が瓦(かわら)版に載った。
 新型コロナウイルスの感染拡大を防止、終息を願う思いが、かわいらしい絵やお菓子、小物となってさまざま場をにぎわしている。
 それにあやかって本紙は15日付4面に「塗り絵はいかが」と題し、能代市の菓子店「セキト」と生花店「花まり」が配布しているアマビエの塗り絵の下絵を紹介したが、ほっこりしつつ、1カ月前に能代市出身で東京在住の縁者から届いたメールを思い出した。
 「中央紙に疫病の厄除(よ)けの妖怪アマビエのことがかいてあり、本当の呼び名はアマヒコとありました。以前、コラムにアマヒコのこと書いていましたが、この妖怪に繋(つな)がるんですか?」。
 「アマヒコは雨や雪をしのぐ頭巾のことです」と返答したが、もう少し丁寧に説明すべきだったと自省したのだ。
 6年前の2月の小欄で「アマヒコ」を取り上げたので、一部を再掲する。
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 県教委の「秋田のことば」によれば、「『あまびこ(天彦)』は『こだま(やまびこ)』を意味する語であるが、『あまひこ』は外套(がいとう)(コート)のかぶりもの(頭巾)をいう。こうしたかぶりものをしていると誰であるか判別がつかないことから、とらえどころのない、正体の知れないものという意味で呼び名にしたものであろう」と説明している。さらに、「一説、『雨彦』で、雨の時に用いる『ひこ』すなわち出っ張ったもの(=フード)の意だという」と付け加えている。雨や雪をしのぐ頭巾という説、かぶって誰か分からなくなる説、どちらも採りたい。
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 先日、能代市内でパーカーのフードをかぶり黒い大きなマスクをした男性がいた。コロナ対策をしたアマヒコ妖怪に見えた。(八)


 

能代の夜の街、15日以降は

(5月13日)

 注文のざるそばを待っていると、顔見知りの三種町の経営者が入ってきて久しぶりの再会のあいさつを交わしたところ、彼は「能代の夜の街、どうなってら」と聞いてきた。
 若かりし頃は能代の夜の街を飲み歩き、年を重ねた今はたまに中学の同級生らと能代に出てきて2、3軒をはしごする人は、新型コロナウイルスの感染拡大防止で、営業の自粛を求められた繁華街の動向が気になるのだ。「大変な時代になったもんだな」と言いつつ。
 「どうなってら」の問いは、先月25日から今月6日まで県が要請した休業が終わり、7日以降の飲食店の営業状況を知りたいとの意味であり、「まだまだ厳しいのでは」と答えたが、ざるそばが届いたので会話はそこで終わった。
 小紙の本社は西通町にある。旧アメリカ街や旧東映通り、平和通りなどのある繁華街。しかし、居酒屋の一部とレストラン、焼肉店は開店しているものの、半分以上、休業延長のスナックのほとんどはひっそりである。「7日からしばらく休みます」の貼り紙の居酒屋もある。開店している店も早々に店じまいするところが多いようだ。
 なじみの店の店主は「いつ開けるか分からない」という。家族から「無理して営業しないで。もう少し我慢すべき」と諭されているそうだ。
 行きつけの店で偵察がてら晩酌すると、客は自分1人だけ。小一時間いてもだれも暖簾(のれん)をくぐる人はいなく、「まだだめね」と店主はぽつり。準備されていたシドケ、ワラビのお浸しや細タケノコと豚肉の煮物は行き場を失っただろうか。
 別の店は無尽講の懇親があり、それなりの人であったが、「密」が心配ではなかったか。
 開店しても客が来ない、料理の材料はすたる、休業が賢明なのか。店を開けて常連客に安らぎの場を提供することが意地の見せ所だろうか。
 秋田を含む全国34県の緊急事態が解除される見込みとなった。15日以降、夜の街はなお緊張が続くのか、弛緩(しかん)するのか。(八)                       


 

自然の中に溶け込んで多幸

(5月8日)

 今は亡きアウトドアの師匠を偲(しの)んで4月29日の「昭和の日」に行う先輩ら3人による近場の里山での山菜採りは、コロナ禍で「暗黙の了解」で中止となった。すると同期生から誘いがあって気分転換に出掛けた。
 若干の山林を保有している彼は山と自然に詳しく山菜の場所も熟知。「ほらそこに、そっちにも」の指導を受けて、小一時間もしないうちにシドケをそれなりに、アイコとボンナを少々、タラノメを天ぷらと煮浸(びた)しにする程度、細いタケノコを味噌(みそ)汁にちょうどいい量を採ることができた。
 途中、秋田県ナンバーの軽トラックや乗用車が3台止まっていたが、人と出会うことはなく、野鳥のさえずりとカエルの鳴き声が聞こえるだけだった。高齢化して山菜採りに行けなくなった人が多く、また60歳以下はほとんど見向きもしないと彼は分析していた。
 渓流沿いの林道の途中で、「そろそろオオルリが出てもいい頃なのだが」と彼は話したが、背中が濃いブルーの鳥は現れなかった。いつもの年は堰堤(えんてい)にいるはずのオシドリの夫婦もおらず、見掛けたのはゆっくり飛ぶカラスの仲間の暗褐色のカケスと2度合った。
 シドケの採取に夢中になっていると、急斜面の裾に植物の群落があって白い可憐(かれん)な花が咲かせていた。二輪草だという。ほかに薄紫の花が楚々(そそ)としたシラネアオイや名の知らぬ花々がひっそりと咲き競っていた。
 我ら2人しかいない広大な里山。空気を思い切って吸えば、肺が一気に清められた気に。渓流の音とウグイスの清澄な鳴き声には心安らいだ。斜面の登ったり下ったりの運動で心地よい汗が流れ、一休みすればそよぐ風が清涼を運んできて、コロナを忘れさせた。
 人が多過ぎない、いや少ない田舎の自然の中に溶け込むことの多幸を感じた。そして、〽ようこそここへ…と桜田淳子の「私の青い鳥」、〽山のカケスも…と春日八郎の「別れの一本杉」、〽あなた、おまえ…と川中美幸の「二輪草」を口ずさんだ。                       (八)


 

ほっこり旅、できないけれど

(5月4日)

 ここ10数年来、5月5日は特別な思い入れのある日となっていた。黄金週間の終盤にドライブがてらにする「安・近・短」の旅が楽しく、ほっこりとするからである。
 自宅を出て10時半ごろに三種町浜鯉川地区に着き、空き地に車を止めて集落を散策すると、庭木の咲く家々はきれいに掃き清められ、揃(そろ)いの高張り提灯(ちょうちん)が付けられ、そこにミニや豆の鯉のぼりがつるされている。集落の中央部を流れる川をまたぐように大きな鯉のぼりが20匹ほど泳いでいる。
 山車の子どもたちが威勢よく太鼓を打ち鳴らす中、天然秋田杉を彫り込んだ大鯉のミコシが船に乗って到着、そろいの半纏(はんてん)の若者や中高年によって橋に引き上げられると、滝に見立ててシャワーが降る。今か今かと待っていた幼子を抱えた母親。孫の手を引いた祖父母、恒例のお年寄りから拍手がわく──。
 浜鯉川地区の「鯉まつり」の光景である。地域の活性化と地名にちなんだ催しをと昭和62年に自治会が磯前神社の例大祭にあわせて始めた祭り。地区の人々の子どもたちの健やかな成長を願う思いがひしひしと伝わってきて、少子高齢化の時代だからこそ大事にしたいイベントと感じ、なぜか足を運びたくなるのだ。
 鯉まつりの後は隣の八郎潟町に移り、真坂地区と一日市地区へ。集落の家々を回る「願人踊(がんにんおどり)」を探し一行を見つけるや待ちかまえて、踊りに期待を膨らませる。
 願人踊は、江戸時代に行われていた願人坊主の門付け芸能が発祥。長襦袢(ながじゅばん)に頬っかむり、手甲に前垂れと派手で奇天烈な姿に、早いリズムに合わせた力強く奇妙な踊りは、見る側を引き込む。そして山賊と爺(じ)っちゃの寸劇は笑わせる──。
 鯉まつり、願人踊と相前後して近隣の農産物直売所に立ち寄って旬の山菜を購入、それが定番化していたが、コロナで祭り・催しは中止に、遠出も自粛。やむを得ないが、寂しさも募る。携帯電話に保存している過去の写真を見返して、来年こそと願う。(八)