ある木材会社の事業停止

(5月20日)

 長年付き合いのある木材会社の社長と久しぶりに出会うと、いきなり「おらがた業界、どうならたべがな」と話した。
 その日の本紙が、「能代市落合のオータカランバーが事業停止し、自己破産申請に入る見込み」と報じたのを踏まえて業界関係者と将来を案じたそうで、それを話題にしたのだ。
 同社は大正10年に創業、昭和27年に法人改組した大高銘木が前身。木都と呼ばれるほど木材業が隆盛を誇った頃、能代は張天井板の一代生産地で、そのトップであった。
 廃刊した秋田木材通信社が昭和50(1975)年に発行した秋田県木材関係業者名鑑によれば、当時の年商は42億円。従業員数は男130人、女380人の計510人。向能代駅に通勤者があふれ、食堂や店がにぎわったという。全国一円に販売先があり、営業マンから各地での思い出を聞いたことがある。
 昭和40年代後期だったか、同社の経営陣がこぞって税務署が公示する長者番付に載って地域の話題となり、「能代に大高銘木あり」を知らしめた。
 同社が先導した「目透かし張天井板」は住宅ブームの時代に全国を席巻、その「構法と開発」は「わが国建築界に与えた恩恵は極めて大きい」として、日本建築学会会長も務めた内田祥哉東大名誉教授の退官を記念して創設された第1回内田賞に輝いた。
 しかし、住宅様式が次第に変化し、和室の部材は需要が減少、張天業界は縮小と淘汰(とうた)の時代に入り、同社は社名を変更して階段材やカウンターなど集成材部門に主力を移したが、業績は回復せず、平成17年に民事再生法の適用を申請、22年に再生手続きが終結していた。経営再建に尽力したと推測するが、それでも再興ならず今回に至った。従業員は35人だったという。
 産業も企業も栄枯盛衰は避けられないけれど、木都を代表してきた会社の厳しい現実に、業界の内実を知る件(くだん)の社長だけでなく、関わりのあった多くの人、住民も深い感慨を覚えたはずだ。取材の機会の多かった小欄もまた。
 減少し続ける能代の木材工場。歯止め策はないのだろうか。社長の心配にうなずくしかなかった。(八)


 

迷う東京五輪チケット購入

(5月14日)

 能代市内のとある事務室を訪れると、管理職の男性と部下の女性2人がスマートフォンをのぞいて渋い顔をしていた。そして「朝から全然つながらないんです」と。3人とも同じ状態だという。
 来年夏の東京五輪のチケットの申し込みが9日に始まった。申し込みはインターネットの公式販売サイトからで、Eメールアドレス、住所、氏名などを入力するID登録が必要だが、スマホを自在に扱う彼らは事前に簡単に済ませていた。
 しかし、申し込みの方はつながらず、ずっと「待ち」。訪問したのは10日午後。3人は前日からの試みが実現しないことに、「しょうがない」と諦めの表情であった。上司の方はその日夕にようやく接続できたそうだが、どの競技をいつの日に観戦するかは迷っている状態で、中断したと明かした。
 女性の1人はバドミントンを、もう1人は陸上を見たいと話していたが、チケットの購入は殺到、大混雑で2日たっても申し込みできなかった人が全国にあふれたとのこと。首尾よくできただろうか。
 訪ねた折、「行きますか」と問われた。55年前の1964年の東京五輪の頃は、まだ子ども。能代から東京に行けるわけもなく、当時ようやく一般家庭に普及したテレビで観戦するだけであった。
来年、人生で初めて五輪の雰囲気を肌で感じ、アスリートの姿を自分の目で直接見たい・応援したいと思い、「行けたらね」と応じた。ただし、「必ず行く」とは言えなかった。
 猛暑の東京。昨年上京中に39度を体感して熱中症になりそうだったから屋外競技は避けて、室内にしたいけれど、チケットを取れるかどうか分からない。
 公道を使うマラソンや競歩はチケットなしで見られるものの、早朝に行うから宿をどうする、足はどう確保する、不眠で待つべきかなどとあれこれ考えなければならない。
 それに開催時期は能代の祭典・七夕と重なり、子の家族が帰省する可能性も。無理かもと思ったところ、「復興五輪」が浮かんだ。
 7月22日と23日に福島県でソフトボールが行われる。車で行けそうだし狙い目か。その前に登録と申し込み。面倒だなあ。  (八)


 

「かっしゅ」にも「ばっしゅ」にも感謝

(5月11日)

 先輩が聞いてきた。「かっしゅ、って奥さんのことだが、なして、かっしゅ、と呼ばたが」と。
 能代に生まれ育ち働いて70年。いまさら「かっしゅ」を問うとはこれいかにと思ったが、県外からの誘致企業の知人の質問をこちらに振ってきたのだった。その人は職場の仲間と交流して、しばしば妻のことを「かっしゅ」と呼んでいることを知り興味を覚えたらしい。
 それで、先輩に「かっしゅ=家主」と書いたメモを渡した。「いえぬし・やぬし」が由来で、それを「かしゅ」と読み、いつしか「かっしゅ」となったのではないかと推測したようだ。
 なるほど、今の時代は夫が「われこそ家の主」と威張っていられるわけにいかないし、家政を仕切る妻の前ではしおらしくしていた方が平和になるから、妻が家の主の「かっしゅ」であってもおかしくない。しかし、先輩は「んだべが、どうも違う気がする」と疑問を抱き、話題にしたのだ。
 「かっしゅ」は幅広い意味があるように思う。冨波良一著の「採録・能代弁」では①おばさん(不特定の)②母(自分の)③妻くん(相手の)④妻(自分の)──の意だとし、使用例として「あこえのきじかっしゅ」(あすこの家のキツイかあちゃん)を紹介している。
 工藤泰二著の「読む方言辞典─能代山本編」では、「かっしゅ=かあさん、女主人を親しみを込めていう語。自分の妻も相手の妻もさすことがある」と説明。そして、「あこのカッシュきもぢえしてな」(あその女主人は気立てがよくてナ)を載せている。
 だが、先輩たちが話す「かっしゅ」には親しみがこもっているよりも、自分の妻と母の場合は照れくささを押し隠し、他人の場合は多少悪口めいているような気がする。
 「ばっしゅ」という方言を思い出した。おばあさんのことだが、「読む方言辞典」では「婆ッ衆」と表記している。その伝でいくと「かっしゅ」は「嬶(かかあ)っ衆」ということになる。語源として正しいだろうか。
 何はともあれ、言葉はきつい印象だけれど、「かっしゅ」にも「ばっしゅ」にも感謝したい。「母の日」を明日にして思う。   (八)


 

令和と本紙死亡広告の書体

(5月8日)

 出会えばいつも冗談を言って笑わせる70代半ばの女性が突っかかってきた。「ちょっと、あんだがたの新聞の死亡広告、何だが見づらくなった~」と。同席していた60代後半の仲間もうなずき、「わだしもそう思った」と意見の一致に納得していた。
 1日朝に、読者から、死亡広告に対する意見がメールで寄せられたとの報告を思い出した。
 能代市内の68歳の女性からで、「令和初日の死亡広告の書体が変わり、老眼の私たちには見づらい箇所になったと思います。以前に比べて綺麗(きれい)なカラーと鮮明な画像を見れているのでそこが残念です。私だけでしょうか?」とあった。
 知り合いの中年女性からも「死亡広告の書体変わったの?」と質問された。釈然としなかったのだろう。
 令和がスタートでこの状態に、少し神経質になっていたところに、ある経営者と居酒屋で隣り合わせになると、声を掛けてきた。「死亡広告の書体が変わったすべ。読みやすくなったすな。スキッとして。令和にふさわしい」と。乾杯を求められた。
 友人からも「はっきりした字体で前よりも見やすい」と言われた。
 本紙は、1日から死亡広告のコンピューターで使う文字デザインのフォントを変えた。
 多くの新聞社が明朝体で死亡広告を作っているのに対し、小社は40年以上も前から筆文字の力強さや重厚感を大切にしながらも、字並びの美しさを追求したあるメーカーの楷書体を使っていた。
 しかし、このたびの改元で使われる「れい」をパソコンで探して打つと、「」と最後の一画が「、」となり、菅義偉官房長官が墨書で示した「令」の「」にはならないことが分かった。明朝体にすれば、「令」となる。
 「」でも「令」でも字体として許容されているが、「」を書く「令」が今後の死亡広告に求められると判断、切り替えたのだが、読者にそのことを紙面で丁寧に知らせるべきところをしなかったので、違和感からの批判、また逆の歓迎になったと受け止めた。
 何とぞご理解を賜りますように。それにしても死亡広告をよく読んでくださり、改めて感謝します。(八)


 

山菜採りであれこれ見え隠れ

(5月6日)

 先輩夫婦が山菜の天ぷらを振る舞うというのでホイホイと出掛けると、出てきたのは細いタケノコであった。
 近場の笹薮(ささやぶ)で少量採ってきたもので、丁寧に下ごしらえし、4、5本をまとめて1つの天ぷらにして揚げた。1つ目は粗塩を降って、2つ目は抹茶塩をちょんちょんと付けて頬張ると、細タケの香りがフワーッと広がった。硬いのではないのかと半ば疑ったけれど、案外に軟らかく、やさしい触感だった。
 細タケは、他の具材を入れず出汁(だし)と香りと歯ごたえを楽しむ味噌(みそ)汁が1番、豚肉や糸コンニャクを入れた煮物が2番と思っていたが、天ぷらも乙なものだと、改めて感じた。
 翌日、友人らとともに里山へ山菜採りに。山の奥に入らず、沢を下らず谷を上らず、もっぱら林道沿いを探すだけだったが、それでもボンナやアイコを感謝しながらいただき、去年と同じところで山ウドを数本掘った。
 「山菜眼」というのだろうか、山野草を見極めあれこれ山菜を見つける目の優れた人は、シドケを簡単に探しては袋に入れていた。釣りが趣味の人は、釣り竿(ざお)を改良して先端にカギ状の仕掛けを付け、高い位置にあるタラノメをしならせる方法で、形のいい物を採っていた。
 場所を別に移し、笹薮へ。前の日か数日前かすでに折った形跡があり、こちらはなかなか探せなかったが、相棒2人は穴場を見つけたのかそこそこの収穫だった。
 採った山菜を全部広げて、食べられない山野草が混じっていないか選別すると、何も入っておらず一安心。その後、種類ごとに仕分けして、それぞれが特に求めたいものを優先して、「山の恵み」を分け合った。
 誰かにお裾分けするにしても慎重に、と助言を受けた。タケノコをはじめ山菜や皮をむかなければならないことが多く、また硬い部分や「食べるにはちょっと」というところは処理しなければならず、もらってもうれしくない人もいるからだそう。「そうかな」と思いつつも小家族化、高齢化が頭に浮んだ。  
 休日というのに山菜採りとおぼしき車は2台だけ。若い人の山菜離れと、高齢化による「行けない」が見え隠れしていた。(八)